流人坊主の託宣で建てた死霊の小祠
どんな伝承か
文政十一年、隠岐島宇賀村の万蔵が提出した訴状に記された話。万蔵の女房が流行病にかかって難儀し、実家で養生させても一向によくならなかった。女房の母は、当村に島流しになっていた流人坊主の觀玉に祈禱を頼んだ。觀玉は「家に誰かの死霊が憑いているから病気になった、祓うには小祠を建てねばならない」と告げた。母がこれを信じて厳重に求めたので、万蔵はやむなく小さな祠を建て死霊排除の祈禱をさせると、不思議にも女房の病が全快したという。
原典より
そこで、止むなく私は、小さな祠を建てて、死靈排除の祈禱をしてもらいましたら、不思議にも女房の病気が全快しました。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。