人狐払いを迫られた組頭の解任
どんな伝承か
七月二十四日、当村の願成寺で村役人の寄合があった際、組頭役の利平太と秀四郎は一旦席を外させられた後、年寄の伝吉から申し渡しを受けた。「お前達両人の家の人狐が方々に祟り、今回は河内屋清左衛門方の病人に障ったので、伯州米子の奥の山市場の祈禱者に害悪排除の祈禱をしてもらえ」というのである。両人が返答を保留していると、七月二十七日、庄屋宅から人狐排除の祈禱に参加の意思を示さなかったことを理由に、組頭役を解任すると通告された。
原典より
先年から聞くところによれば、お前達両人の家の人狐が方々にたたつて、人々に害悪を与えるそうだが、今回は、河内屋清左衛門方の病人にさわつたため、本人が大變難儀をしているとの申し出があつた。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。