唐人墓の前で子を泣き慕う甚七
どんな伝承か
広島県吉田町六日市裏の田圃の中に唐人墓が残っている。慶長の頃、豊臣秀吉の朝鮮征伐に従軍した毛利輝元が朝鮮から連れ帰った甚七という者の子・いせが病死し、屋敷の傍らに葬られた。毎年忌日には肉食を供えて祭り、「こぞさいた花もさきこぞ鳴た鳥もなくに伊勢ぼうはなぜ還らぬぞ」と墓前で大声をあげて慕い泣いたと伝えられている。
原典より
吉田町六日市裏の田圃の中に唐人墓というのがのこっている。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。