錦木を立て続けて死んだ若者と政子姫
どんな伝承か
このあたり一帯はかつて狭布の里と呼ばれ、幅の狭い白い麻布が織られていた。狭布はけふとも読むので、けふの里ともいう。稲荷神社の境内の一隅にある錦木塚の主人公、政子姫はこの布を織る名人であった。姫はこの里を治める狭名の大海の娘で、ある若者が姫に思いを寄せた。当時この地方には、男が女の門口に錦木を立て、女がそれを家に入れれば恋が成就するという風習があった。若者は十キロ余りの道を毎晩通って錦木を立てたが、父は身分にこだわって仲を許さない。若者は九百九十九日目に病んで世を去り、姫も間もなく後を追った。父は悔い、二人の遺骸に錦木を添えて葬った。それが錦木塚だという。
原典より
昔、このあたり一帯が狭布の里とよばれたのは、この地方で幅のせまい白い麻布が織られていたためで、狭布はけふとも読むことからけふの里ともいわれた。—— 日本伝説大系 第2巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第2巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第2巻』所収の「文化叙事伝説」64話(岩手・宮城・秋田)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。