西館に拠り政宗に殉じた入生田氏
どんな伝承か
入生田部落の西方、西館という所に入生田氏の館趾がある。室町時代、後花園天皇の寛正四年に入生田丹波正明が築いたもので、正明から六代百二十八年の間ここに拠った。のち伊達氏に従い、天正十九年に岩手山へ移って入生田三右エ門元康と称し、梁川の城で二百石を賜った。元康は文武に秀で、政宗の寵臣として常に相談役をつとめ、生前に殉死の約束までしていたという。政宗の死に遭うと、その霊を守って「入る月の名残りをしたふ旅なれば行末とても何かかまはん」と詠み、六月二十日、愚鈍院で殉死した。法名を功翁知全禅定門という。辞世に「ふるさとに帰ると見れば霧はれて君もろともに行くもとの道」の一首を残した。墓は仙台の瑞鳳殿にある。
原典より
入生田部落の西方、西館と云う所に入生田氏の館趾がありますが、室町時代——後花園天皇の寛正四年入生田丹波正明が築造した所です。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。