露藤から分かれた中島館の来歴
どんな伝承か
露藤の中島は、今でこそ一つの集落を成しているが、往時は露藤部落の南の方に散在していた。それゆえ鎮守の白髪明神もいくらか南東の方を向いており、参道も南東の方へ真っ直ぐに切られていた。宝暦年間に東へ百二十間、参道を切り直したと伝えられる。室町時代は現在の集落地には四、五軒しかなく、安松院を中心として東の方に「館の内」という地名があり、ここは安藤東次郎照明がいた所と言われる。桃山時代には伊達尚宗の臣、中島伝兵衛宗朝が再築して館を構え、その子宗武、孫の豊宗まで三代にわたったが、天正十九年に政宗が岩手山へ移った後は中島重内という人が代わったという。
原典より
露藤の中島は、今こそ一つの聚落を成しておりますが、往時は露藤部落の南の方に散在しておりました。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。