政宗の乳母を出した泉岡のしづ在家
どんな伝承か
高畠町泉岡に「しづ在家」と呼ばれる所がある。伊達政宗が高畠城にあったころ、政宗の乳母がこのしづ在家から召し出されたという伝説が残る。政宗は仙台へ移封となってからも幾度もしづ在家のことを尋ねたという。文久の騒動の際、当時の仙台領主に政宗直筆の古文書を見せたが、そこには屋代の内の志津をめぐる争論を政宗が仲裁した旨が記され、志津在家ひさこの名と朱印があった。この直筆は文化九年に片倉小十郎の父南涯の目にとまり、南涯はただちに一首の和歌を泉岡の名主佐藤十郎左衛門へ送ったと伝えられている。
原典より
泉岡に「しづ在家」という所があります。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。