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八十数日の旱魃と降り積む砂

所在地東京都青ヶ島村
年代天明二年五月〜八月
登場吉川義右衛門、菊池左門、七太夫、島民、代官江川氏の手代・山焼け跡を見分、八丈の島役人、青ヶ島名主・渡島の案内
出典定本柳田国男集 第1巻

どんな伝承か

天明二年四月なかば、代官江川氏の手代吉川義右衛門が八丈の島役人菊池左門を連れ、青ヶ島名主七太夫の案内で島へ渡り、山焼け跡を調べて荒地起こしの指図を残し、五月二十三日に引き揚げた。その船が出た翌日に降った雨を最後に、八月十六日まで八十数日、島には一滴の雨も降らなかった。粟や稗はまず枯れ、残った里芋や甘藷、あした草の上にまた山が焼けて砂が降り積み、どこに植えたかも分からなくなった。掘り出してみると甘藷とあした草は腐り、里芋だけが十のうち三つ四つ食べられた。山帰来の根を掘り、前年の鰹節と塩辛、わずかな麦に海藻を加えて命をつないだ。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)

『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。

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