風波の妨げなく通う復興の貢船
どんな伝承か
八丈年代記によれば、文明六年から享保四年までの二百四十六年の間に、青ヶ島へ貢船が無事に着いたのは正徳六年のただ一度きりだった。ほかは本土へ流されるか行方知れずになるかで、享保より後も漂着や延着は当たり前、天候に恵まれず年に一度の渡海船さえ出せない年もあった。ことに天明五年の島焼け以降は海難が続き、名主三九郎の死で人々の気力は削がれていた。ところが次郎太夫の復興計画が始まってからは風波の妨げが一度もなく、船は不思議なほど予定どおりに通った。八丈の同志たちはそこに目に見えぬ導きを感じたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。