津島天王の彌五郎殿と天王送り
どんな伝承か
尾張の津島天王の末社に、彌五郎殿という祠がある。天野信景以来、社家堀田氏の先祖の一人、堀田彌五郎光泰を祀るとされ、今ではそれが通説になっているが、土地の信徒は必ずしもそう考えていない。美濃東部の村々では近いころまで、疫病がはやると藁人形を三体作って天王送りをした。そのうち二体を男女の神とし、付き従う少しおどけた人形を彌五郎さんと呼ぶのが普通だった。彌五郎は諸国の八幡社などでも、主神に従えられる気の荒い小神の名であり、実在の人とするのは後の付会だと柳田は見る。
原典より
美濃東部の村々では近い頃まで、疫病が流行して来ると三つの藁人形を造って、天王送りといふことをしたが、その人形の二つを男女二神とし、之に隨行するや、おどけたる人形を、彌五郎さんと呼ぶのが普通であつた。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。