牡鹿の寒風に残るナマハギとミタマ飯
どんな伝承か
文化元年は真澄が初めて男鹿に遊んだ年で、それから七八年の間は主に八郎湖の周辺の村々に多くの知友を見つけて滞在した。二度目の男鹿の勝遊は文化七年三月から翌年二月末まで続き、その年の正月記事は氷魚の村君という日記にある。谷地中という海辺の村で、のんびりとした初春の光景を眺めていた。文化八年の元旦は、寒風山の麓の、海と湖水に挟まった宮沢という村の畠山某の客であった。牡鹿の寒風の下半分には、この昔風な農家とその周囲の正月ぶりが書き留めてある。ミタマの飯やヲカの餅の風習、男鹿で最も有名なナマハギの行事は、この日記によって詳細な資料が得られる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。