松か杉か争われた田端の名木
どんな伝承か
田端にはかつて「争いの杉」と呼ばれる名木があり、その枝ぶりが松に似ていたため、遠くから見ると松か杉か人々が言い争ったことからこの名がついたと伝わる。誰が最初に争ったかは伝承によって異なり、頼朝の奥州征伐の際に畠山重忠が言い争ったとも、太田道灌が他の武士と争ったとも言われ、実際には諸説が入り乱れて定かでない。元は白鬚社の神木であったが、山手線の敷設で移植を余儀なくされて枯死し、明治三十六年二月に建てられた「争杉樹」の碑だけが後に三角屋敷へ移されて今も残っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代))