相之川の人が漕いだ今井の渡し
どんな伝承か
今井橋は明治四十四年に松戸の工兵隊が架けたと言われ、それ以前は今井の渡しと呼ばれる渡船場で、船は今井側ではなく相之川の人たちが持っていた。話者の父ぜん平は一番意気地なしで、客の方が流されると言って自分で漕ぎ、下今井の熊野神社まで流されたこともあるという。川幅は広く、堤防の下は葦が茂って十メートルほどが浅瀬で、大正十年ごろには子供たちが銚子から醤油を運ぶ通運丸につかまって泳いだ。高瀬船の白帆と富士の景色を詩に詠んだ人もいる。春には白す鰻が何億匹も遡り、笊ですくえばいくらでも獲れたが、誰も獲らなかった。県道沿いに九十軒ほどの家が並び、成田詣での人力車が通ったと語られる。
原典より
今井橋がはじめて作られたのは、明治四十四年に松戸の工兵隊が作ったと言われています。—— 市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年))
『市川の伝承民話 第1集』は、市川民話の会が昭和五十五年に編んだ民話の資料集である。市川市教育委員会の事業として昭和五十四年度に千葉県市川市の国分・北国分・行徳・南行徳で行った採訪調査のうち、テープ起こしを終えた語りを、方言も残して話者の息継ぎのままに記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部に分けて地区別に並べ、話末に話者・地区・記録者の名を添える。