⑬ 小作争議
どんな伝承か
曽谷地区の小作争議は、明治の中頃から昭和初年まで数次にわたって起きた。冷害や台風の出水で米の実りが極端に悪い年に、年貢を負けろ負けないの交渉がこじれて争議に発展した。当時、二町ほどの田を持つ地主が七、八軒、三反から五反を借りる小作人が五十軒ほど、七、八反を持つ自作農が十軒ほどで、自作農が仲裁に走り回ったという。明治二十年頃と大正八年の凶作時が知られるが、最も激しかったのは農民運動の影響を受けた昭和三、四年で、小作の植えた苗を夜に地主が引き抜き、翌日地主が植えれば小作が抜くという応酬が続いた。
原典より
「さしさわりがありますからね」と、開口一番その古老は言った。—— 市川の伝承民話 第2集(市川民話の会・市川の伝承民話・1981年(昭和56年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第2集(市川民話の会・市川の伝承民話・1981年(昭和56年))
『市川の伝承民話 第2集』は、市川民話の会が昭和五十六年に発行した民話資料集である。千葉県市川市の曽谷・宮久保・下貝塚と行徳の古老から聞き取った、狐や狢に化かされた話、火の玉、伝説、昔話、唄、暮らしの禁忌や苦労話を、方言を残した語り口のまま記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部を地区別に並べて各話の末に話者と記録者を記し、巻末に語り手の紹介、話者と採訪者の名簿、採訪記、あとがきを付す。