躑躅崎の館跡に建つ武田神社
どんな伝承か
韮崎から北へ六里、山深い増富ラジウム温泉を訪ねた帰りに、甲府の武田神社へ参詣した折の感懐である。この社地は武田晴信(信玄)在世中の躑躅崎の館跡にあたり、遠く甲斐の連山を望み、後方に要害山を控えた景勝の地で、古木鬱蒼として森厳の気が自ずと人の襟を正させるという。祭神は清和源氏新羅三郎義光の後裔で、大永元年生まれ、元服して晴信と改め信濃守となり、天文十年に父信虎の跡を継いで甲斐国主となり、治山治水や産業開発、甲州流兵法の範を示した御偉業で知られると記されている。
原典より
この社の地は祭神武田晴信公在世中の躑躅崎の館跡で、遠く甲斐の連山を望み後方には石水寺の要害山を控えた景勝の地で、古木鬱蒼として森厳の気自ら襟を正さしむるのである。—— 城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。