観音堂を再建し焼身した観命
どんな伝承か
安永五年に焼けた下新倉の吹上観音の本堂は、村の女性つるの発願で建て直されたと伝わる。つるは嫁ぎ先の板橋から戻って独り暮らしをする信心深い人で、夢に観音が立ち再建を告げたため、髪を下ろさぬまま観命と名乗り、近郷を回って浄財や木材を募った。人の心を見抜く力があり、どの家が何を出すか、渋る者がいるかを言い当てたという。材木を積んだ大八車がぬかるみで止まっても、観命がひと声かけ杖で押すと楽に動き、材木は一本も買わずに済んだと語られる。本堂は天明元年に完成した。観命はのち文政六年二月十五日に自宅に火を放ち、座ったまま焼け死んだが、遺骨は見つからなかったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
和光市史 民俗編
『和光市史 民俗編』の伝説と昔話の章から、伝説の節を抜き出したものである。埼玉県和光市の下新倉・新倉・白子に伝わる、妙典寺の子安池と楊枝柳、孝行息子の汲む水が酒になった強清水、白子地福寺の枕返し地蔵、吹上観音の火中出現と観命尼の焼身、新羅三郎義光の笛の伝説などを、異伝と出典を添えて収める。市史の編者がそれぞれの伝説の成り立ちを論じる文章が多い。