隠者及川鼎が告げた非命と天命
どんな伝承か
幕末の大阪大手通で江戸への飛脚を営む天満屋の近藤弥左衛門は、摂津の吹田垂水に隠れ住む求道者及川鼎のもとへ修養に通い、息子の与三郎もたびたび連れて行った。与三郎が十四歳のある日、及川は少年の顔をじっと見つめ、この子は十七で非業の死、二十五で天命が尽きるから養子を取っておけと告げた。驚く父子に、十七の難は養生しだいで逃れられるとして、その時に飲むよう薬を手渡したという。
原典より
可哀相やがこの児は十七が非名、二十五が天命や。養子を貰うときなはれ—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。