仙薬で大病を免れた与三郎
どんな伝承か
求道者の及川鼎は、大阪の天満屋の息子近藤与三郎に、十七歳で命の危機が来るが養生しだいでは助かると告げ、その時のための薬を渡していた。その言葉のとおり、与三郎は十七歳になった明治四年の五月五日に大病にかかった。しかし預かっていた仙薬を飲んだおかげで命を取りとめたという。隠者の予言は災いの年だけでなく、それを逃れる手立てまで言い当てていたことになる。与三郎はのちに金光教の近藤藤守となる人物である。
原典より
与三郎十七歳の年(明治四年)の五月五日、果たして大病に罹ったが、あの仙薬を服用したお蔭で助かった。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。