懺悔の一夜で脳癆が全快
どんな伝承か
妻の病が治ったのを見た近藤与三郎は、天地の神律に背いてきた自分の過ちを神前で残らず懺悔し、裁きをすべて神に委ねようと決めた。作法も知らぬまま肴三品と酒を供え、病身で口にすれば命取りだと言われていた酒まで下げて飲み、そのまま神前に座り込んだ。うとうとして目を覚ますと朝になっており、自分は生きていたうえ、長く苦しんだ脳癆の痛みも消えていた。喜んで伏見町の広前へ駆けつけたが戸は閉まっており、立売堀へ移っていた白神新一郎を探し当てて礼を述べたという。
原典より
しかも、もっと驚いたことには、年来のあれほど頑固な脳癆の痛みがすっかり拭い去られていた。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。