佃島の狐憑きが祠となった尾崎大明神
どんな伝承か
オサキ狐は江戸に入らない、王子稲荷が押さえているからだと言い伝えられてきた。ところが『頃痢流行記』には、これと名の通じる祠の由来が載る。ある年の八月半ば、佃島の漁師某に野狐が取りついた。近隣の者が駆け集まり、神官や修験に祈禱を頼む。さんざん責め立てられた狐は男の口から抜け出して逃げたが、居合わせた人々に追いつめられ、その場で打ち殺された。長にあたる者の計らいで死骸は焼いて灰にし、そのあたりに三尺四方の祠を建て、霊を尾崎大明神として祭ったという。頃痢とは激しい流行病のことで、コレラもその一つとみなされる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
動物妖怪譚(日野巌・日野巌・動物妖怪譚・大正・昭和初期)
博物学者・日野巌の古典的妖怪研究『動物妖怪譚』の前半(總論〜多爾具久)。