京都の薩摩藩邸で見た狐憑きの少女
どんな伝承か
本田親徳は一七歳のとき、神懸かりの法が絶えていることを嘆いて皇学を志し、上京したという。二一歳のころ、京都の薩摩藩邸でたまたま狐に憑かれた少女に出会い、憑霊の現象を目の当たりにして、霊学の研究に生涯をかける決意を固めた。この体験が本田霊学の出発点となり、霊学の目的もその憑霊を制御することに置かれた。そのため本田の鎮魂帰神の行法は、もともと憑霊の色合いを強く帯びることになったとされる。
原典より
京都の薩摩藩邸における憑霊現象の実見が本田霊学の出発点をなし、霊学の目的がその憑霊の統御にあったことからみても、本田霊学の鎮魂帰神行法が憑霊傾向をつよく帯びるのは自然の成り行きである。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。