トップ > 山形県の伝承 > 鶴岡市

羽黒山を開いた異相の能除太子

所在地山形県鶴岡市(羽黒山)
年代伝承(口承)
登場能除太子、聖徳太子、羽黒山を開いた皇子(蜂子皇子)、修行を勧めた従兄弟
出典呪術と占いの日本史

どんな伝承か

羽黒山を開いたのは能除太子だと伝わる。『羽黒三山古実集覧記』などによれば、太子は崇峻天皇の第三皇子で名を蜂子皇子といい、真っ赤な顔に耳まで裂けた口、髪の生え際まで届く目尻、一尺二寸もある鼻という恐ろしい相をしていた。その容貌ゆえに世の無常を感じ、従兄弟の聖徳太子の勧めで山林修行の道に入った。各地を巡って羽黒山に至ると、杉の大木の下に観音像を見つけ、庵を結んで修行を続けた。国司の長年の腰痛を館に入るだけで治したため、国司は寂光寺を寄進し、朝廷も能除太子の名を贈った。のち月山や湯殿山でも修行して修験道を完成させ、役行者もその弟子だという。

原典より

彼は真っ赤な顔をしていて、口が耳まで裂け、まなじりが髪の生えぎわまで続き、鼻が一尺二寸もあるという、きわめて恐ろしい異相の持ち主であった—— 呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年)) より引用
地図で位置を見る

※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年))

『呪術と占いの日本史』は、渋谷申博・瓜生中が平成四年に著した日本呪術史の概説書である。縄文の屈葬や土偶、卑弥呼の鬼道から中世の呪詛、近世のおかげ参りと「ええじゃないか」を経て、明治の神仏分離と修験・祈禱の禁止までを、記紀や史書の記事と民俗の断片から拾い上げる。古代・中世二章・近世の四章を小項目に分けて立て、表の歴史に現れない民間信仰を「闇」の系譜としてたどる。

種別から探す

異相開山観音

鶴岡市の伝承

同じ種別の伝承

同じ文献『呪術と占いの日本史』の伝承