角の筏と見分森という名の由来
どんな伝承か
大蛇が長者の妻の姿に戻ったのを見た郡司義実は、三国一の貧乏娘が邪心の大蛇を済度して百年の安穏を導いたと喜び、さっそく十六本の角をかき寄せて角筏を組ませた。法華経を帆にして止々井の沼から佐用姫を乗せ、北風にまかせて漕ぎ出す。姫は神床に立ち、大蛇がこのように成仏したからには上下胆沢の人々はもう騒ぐ必要はないと言い、胆沢の山も里も、高山掃部長者の栄えた跡も一日でも見たいと望んだ。義実の案内で深草森に登り、感極まって東天を拝み、神に謝し仏を念じて四方を見分けたので、この森を見分森と名を改めたという。姫は沼のほとりから多くの人に見送られて九州肥前へ帰った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史)
『胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説』は、胆沢町の町史民俗編の一冊のうち、第四章「口承・伝説」を収めたものである。第一節は松浦佐用姫と高山掃部長者の伝説を扱い、胆沢・水沢周辺の伝説地を列挙したうえで、町内に伝わる佐夜姫の本地物の写本や『南部叢書』所載の「奥州胆沢高山実伝」を翻刻する。第二節「いさわの昔話」は大蛇・狐・むじな・飢饉・戦後の怪異などの話を番号順に並べ、第三節「いろいろな昔話」へと続く。