国三郎一門の愁訴と大庄屋の説諭
どんな伝承か
村八分に苦しむ宇賀村の国三郎一門は、以前に役所が出した人狐禁圧の触書の古文書を別府村の宇野市正が持っていると知り、調停を頼んだ。宇野は、村役人を飛び越せば越訴の罪になり、海を渡る裁判は金も時もかかると説いて一任させたが、村方は喧嘩もしていないのに和解はいらない、祈禱を頼んだ者もいないと取り合わなかった。一門は大庄屋に訴え出て証拠を求められたが、十一月十日夜の海士村の大火で遅れ、その後の源四郎襲撃も加えて、安政二年二月、国三郎ら十人の連名で愁訴状を出した。大庄屋官藏の説諭を受け、村役人と頭百姓は村八分を解き人狐を口にしないと詫び状を入れたが、差別はその後も残ったとみられる。
原典より
この訴状をうけとつた大庄屋は、村役人はじめ、村方一統に対して説諭文を出しました。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。