吉田の社が狐の障りを否定した書状
どんな伝承か
伏見の託宣に従って小祠を海へ流してから二、三年は無事だったが、やがて世間では再び、宇賀村の男の家に狐が取り憑いていると言いふらす者が現れた。男の父はひどく悔しがり、別府村の宇野石見が京都へ上る機会に同行して、吉田の社に祈禱を願い出た。神主は、お前の家に狐の障りなどまったく見当たらないが、今後もそうした噂をする者があればこちらへ知らせよと言い、その旨を書状にして村の庄屋あてに送ってくれた。これで世間の口はいったん収まったという。
原典より
「お前の家に、狐のさわりなど一向にないようであるが、今後、やはりそういった噂をするものがあれば、当方に知らせるように・・・」と仰せられ、その趣旨を当村庄屋宅へ、書状で御指示になりました。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。