人狐組合への村八分決議と越訴
どんな伝承か
総寄合で読み上げられた決議は、人狐組合に属する家とは血縁を一切断ち、出入りや付き合いも拒み、その家の漁船には乗らず道具の貸し借りもしない、違反した者は組合に入ったものとみなす、という厳しいものだった。一門は完全に村八分となり、人並み以上の財産を持ちながら、死人が出ても手伝いも会葬者も来ない身となった。やがて疫病が流行って一門にも死者が出たが、棺を作る職人さえ来なかった。一門は村役人を飛び越えて大庄屋に訴え、安政二年二月に愁訴の書状を差し出した。大庄屋の諭しで村役人と頭百姓は詫び状を出し、形の上では村八分を解いたが、差別は長く残ったとみられる。
原典より
私達は徹底的に、村八分にされたものであります。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。