初めて綾部のナオを訪ねた喜三郎
どんな伝承か
明治三十年十月八日、上田喜三郎(のちの出口王仁三郎)は霊示に導かれ、十余里の山坂を越えて綾部の出口ナオのもとを訪れた。喜三郎はナオの並々ならぬ気品に打たれたが、ナオは喜三郎がまだ子供じみて見えるうえ稲荷講社に属していることも気にかかった。喜三郎も役員信者たちの人柄に幻滅し、三日間滞在しただけで綾部を去ったという。
原典より
喜三郎は、初めて会うナオの並ならぬ気品にまず打たれた。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。