筆先の終わりを告げたナオ
どんな伝承か
大正七年の元旦、王仁三郎は信者の梅田安子に「教祖はんのおからだは今年中や、びっくりするなよ」と語りかけた。その年の七月二十五日、ナオは王仁三郎に「筆先はもう書かいでもよいと神さまが言われる。立替えの筆先は終わった。あとの立直しは先生のお役目、わたしのご用もすんだ」と告げた。静かな微笑のうちにも言いしれぬ淋しさが漂っていた。十一月三日の秋の大祭にも「式に出いでもよいと神さまが申される」と休み、王仁三郎が代わって斎主を務めた。「あすからは、わたしのかわりに先生がなされる」と言い残したその頃から、ナオの昇天の時が近づいていた。
原典より
ナオはしずかな微笑をふくんでいるように見えたが、言いしれぬ淋しさがただよっているのも感じられた。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。