落雷で宝物を失った屋代郷の豪族
どんな伝承か
平主計は屋代郷きっての豪族であったが、豪族も富豪も時代の波には勝てず明治初年に零落し、今は跡形もなく和田小学校の敷地となっている。文久三年の高畠の勤願騒動のとき、主計は上杉氏から帯刀を許されて武士の列に加えられ、姓を名乗ることも許された。郷民はこれを不満として同家を襲撃しようとしたので、主計は宝物や大切な書類を十数頭の牛につけて山上村の五右エ門の家へ運び、土蔵に隠した。上杉藩の武士役人が邸を警護し、玄関先には大砲を据えて備えたが、結局郷民は襲わなかった。ところがその年、五右エ門の家が落雷で焼け、宝物も古文書も郷の記録も焼失したらしい。文珠堂の本堂再建も主計の寄附によるといわれる。
原典より
平主計さんは屋代郷きっての豪族だったそうです。—— 高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(山形県立高畠高等学校文芸班(編)・1957年(昭和32年))
『高畠町伝説集』は、山形県立高畠高等学校文芸班が熊木成夫教諭の指導で編み、昭和三十二年に高畠町伝説集刊行会から発行した伝説集である。高畠町とその周辺に伝わる社寺の縁起、人物、怪異、動物、地名の由来などを、古老からの聞き書きと古記録から採り、内容の多くは郷土研究家安部名平次の蒐集による。神仏・人物・怪異・動物・什物・地物・地名・地誌の八篇に分け、町長の序と校長・安部名平次・武田好吉の文、編者の後記を付す。