明和の大津浪、宮良の民を絶やす
どんな伝承か
宮良の里はすでに片田舎となって、南に漫々たる蒼波に面している。かつては蝦夷の日高の沙留と同じく、ここに風流のカワラが居を占めて幾多の宮童の歌を養ったものらしいが、明和の大津浪に故の民の種は尽きて、今は幽かな口碑も遺っていない。村の西の荒野を、宮良川が静かにひる木林の蔭を流れている。干瀬の大きな石を伐って来て川に架けた宮良橋は、島の一つの名所である。この村は明和八年の大海嘯の後に、ことごとく小浜の島から移された民であるという。昔の大津浪の日の早天には、やや強い地震があって潮は遠く退き去り、五彩の海底が白日の下に露れたと伝えられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。