百八人の救出と取り残された者
どんな伝承か
天明五年四月二十七日、ようやく三艘の助け舟が八丈島から青ヶ島へ漕ぎ寄せた。生き残っていた人々の喜びは言いようもなく、男女百八人が急いで舟に乗せられて八丈へ渡った。だが舟は小さく人は多い。乗り切れなかった者が幾人か島に残され、助けてくれと泣き叫んだが、それ以上は救えなかったという。噴火前の島は五十三軒、人口三百二十七人ほどであった。四月の二度の舟と三月末に名主らと来た者を合わせて二百二人が脱出し、残って死んだ者は百三、四十人と近藤富蔵は記している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。