テラノトンプに祀られた次郎太夫
どんな伝承か
青ヶ島の復興を導いた名主次郎太夫は、弘化と改元した天保十五年六月、七十四歳で表彰を受けた。その後さらに十年ほど島の繁栄を見届けて世を去り、死後は神として祀られている。祠は島のテラノトンプという頂にあり、吏長の二人を島の守護として勧請したと伝える。毎年の祭の日には島人が祠の前に集まって祝詞を唱えた。もっともそれは祝詞というより、八丈島の高橋長左衛門が青ヶ島の人々をもてなした折に作って歌わせた口説節で、新造船の出帆、八重根への到着、検地と年貢、島の豊作と繁昌をつづり、焼けず崩れず南の海にと寿ぐ文句であった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。