浄楽寺に並ぶ江戸絵風の肖像画額
どんな伝承か
鵜住居の浄楽寺は陰鬱な口碑に富んだ寺だという。柳田国男は偶然その本堂の前に立ち、しおらしいこの土地の風習を見た。村で玉瓔珞と呼ぶモスリンを三角に縫った棺の装飾、小児の野辺送りに用いたらしい紅い洋傘、その他さまざまな記念品にまじって、新旧の肖像画の額が隙間もなく掲げてある。戦死した青年や大黒帽の生徒などの写真から切り放し引き延ばしたものもあるが、大部分は江戸絵風の彩色画で、近頃のものまで男は髷があり、女房や娘は夜着のような衣物を着ている。三人五人と一家団欒の態を描いた画は、海嘯で死んだ人たちだと言われた。
原典より
江戸では青山邊の御家人等が、近世まで盆の月には高燈籠を揚げて居た。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。