松か杉か争われた田端の名木
どんな伝承か
田端にはかつて「争いの杉」と呼ばれる名木があり、その枝ぶりが松に似ていたため、遠くから見ると松か杉か人々が言い争ったことからこの名がついたと伝わる。誰が最初に争ったかは伝承によって異なり、頼朝の奥州征伐の際に畠山重忠が言い争ったとも、太田道灌が他の武士と争ったとも言われ、実際には諸説が入り乱れて定かでない。元は白鬚社の神木であったが、山手線の敷設で移植を余儀なくされて枯死し、明治三十六年二月に建てられた「争杉樹」の碑だけが後に三角屋敷へ移されて今も残っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。