須和田に降った焼夷弾と不発弾
どんな伝承か
二中のある場所には戦争が激しくなって防衛部隊の補給隊が入り、その裏に弾薬庫があった。昭和二十年三月四日、米軍のB25がそこを狙って爆撃したが分からず、須和田から国府台にかけて無差別に焼夷弾を落とした。折しも国府台の輜重連隊のガソリン倉庫に当たって燃え、真黒い煙が立ちのぼった。須和田二丁目には十四発落ち、多くは不発だったが、平田敬助の家は物置と台所の間から火を噴いた。父にかわって防火部長をしていた彼は、不発弾を二中へ運ぼうとして坂の上がり口の警防団に渡した。
原典より
――二中の所には何があったのですか?二中の所は、戦争が激しくなって、防衛部隊の補給隊が入っていたんですよ。—— 市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年))
『市川の伝承民話 第7集』は、市川民話の会が調査・編集し、市川市教育委員会が平成十一年に発行した民話資料集である。平成四年度から六年度にかけて市川市の柏井・須和田・宮久保・原木・稲荷木と国分高校ほかで行った採訪の聞き書きを、話者の息継ぎや方言を残したまま収める。世間話・伝説・昔話・唄と諺・年中行事・生活譚・現代若者の学校話の七部に分け、巻末に話者紹介と会員の採訪記、あとがきを付す。