秋元仙太郎が刻んだ塩田開拓の碑
どんな伝承か
市川市行徳の天理教会の門口に、大きな薄い石の碑が立っている。ガラス戸一枚ほどもある石に、崩し字で歌が刻まれているが、字が薄くなって読み取りにくい。この石はもともと本塩の二の十七にあった天理教の教会にあったもので、教会が移転したのちも碑は運ばれ、今も門の入口に残っている。教会を営んでいたのは語り手の祖父にあたる人で、その家も後に引っ越したという。話者は「行徳ね、今の住所は二丁目になっています」と、土地の呼び名の移り変わりを添えて語った。
原典より
そいでね、そのおじいさんがねうん、その終戦になった時にね、自分で歌作ってね。—— 市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年))
『市川の伝承民話 第7集』は、市川民話の会が調査・編集し、市川市教育委員会が平成十一年に発行した民話資料集である。平成四年度から六年度にかけて市川市の柏井・須和田・宮久保・原木・稲荷木と国分高校ほかで行った採訪の聞き書きを、話者の息継ぎや方言を残したまま収める。世間話・伝説・昔話・唄と諺・年中行事・生活譚・現代若者の学校話の七部に分け、巻末に話者紹介と会員の採訪記、あとがきを付す。