行徳橋の下を開墾した麦畑
どんな伝承か
戦時中、語り手たち小学生はろくに勉強もせず、今の行徳橋の下に集められたという。農家の多かった行徳では、鎌のある家の子は持ってくるように言われた。今の消防練習所のあたりは葦ばかりの原っぱで、子どもたちはそこを開墾していくらか畑にし、食べるものがないので麦を播いた。刈り取りにも行かされたが、ほとんど獲れなかった。刈りたての生の麦を口に含んで噛むと粘ってガムのようになるので、皆でかじりながら学校へ帰ったと語り手は振り返る。
原典より
だからあのう私達、勉強殆どしませんでね。—— 市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第7集(市川民話の会(調査・編集)/市川市教育委員会(発行)・市川の伝承民話・1999年(平成11年))
『市川の伝承民話 第7集』は、市川民話の会が調査・編集し、市川市教育委員会が平成十一年に発行した民話資料集である。平成四年度から六年度にかけて市川市の柏井・須和田・宮久保・原木・稲荷木と国分高校ほかで行った採訪の聞き書きを、話者の息継ぎや方言を残したまま収める。世間話・伝説・昔話・唄と諺・年中行事・生活譚・現代若者の学校話の七部に分け、巻末に話者紹介と会員の採訪記、あとがきを付す。