境内から三百八十九両の小判
どんな伝承か
文化十三年三月八日の夕方、宝泉寺の寺男伝蔵が畑を広げようと近くを掘り返していると、鍬に硬いものが当たった。不審に思って掘り下げると山吹色の小判が現れる。和尚と二人で調べたところ百八十九両にもなり、まだあるかと二、三歩離れた場所を掘ると、さらに二百両ほどが出てきた。しめて三百八十九両である。驚いた和尚は翌日奉行所へ届け出たが、誰が埋めたものかは実地検証しても分からなかった。二十七年後の天保十四年五月にも、普請のため境内を掘っていて小判の詰まった壺が出た。この時は和尚の書付が添えられていたので、寺の所有となったという。
原典より
時代 江戸時代 文化一三年(一八一六)三月八日 天保一四年(一八四三)五月三月八日の夕方、寺男の伝蔵が、近くを掘り返して畑を広げようとしていた時、カチリとくわに当るものがあった。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。