飢饉に餓死した道契和尚の堂
どんな伝承か
昔、小辺坂に真言宗の泰光寺という寺があり、今も寺跡が残る。住職の道契大和尚は名僧として知られ、穏やかな人柄で土地の者に読み書きを教え、郷土のために力を尽くした。ところが年を重ねて中風を患ったうえ、永享八年に冷害で実りが乏しく、暮らしが立たずに土地を去る者が相次いだ。和尚を養う者もいなくなり、ついに飢えて亡くなったという。のちに人々はその死を悼み、嘉吉二年二月に庵を建てて像を安置した。その後も飢饉のたびに堂は荒れたが、土地の家の先祖が建て直し、何度も修理を重ねたことが棟札や家の記録に残るという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
滝根町史 第3巻 (民俗編)
『滝根町史 第3巻(民俗編)』の口承文芸の節から伝説を抜き出したものである。福島県田村市滝根町(菅谷・神俣・広瀬)の大滝根山の田村麿と大滝丸、入水寺の観音、小野小町の伝え、鶴ヶ池物語、人柱茂左衛門、曽富登神社、六句の坊、片手観音、三本足の鳥、姥捨山などを収める。古い村誌の文語の引用と聞き書きの口語が混じる。