秋田街道に折り重なる餓死者
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どんな伝承か
天明の飢饉は作物が全く穫れない年が四年も続いた大飢饉であった。米麦が一粒もなくなった農民は草木の葉まで食い尽くし、薬餅をこしらえて食べた。田一反歩に換えた米一升を家族六人で一ヵ月にのばすというありさまで、それでも餓死する者は救えず、骨と皮ばかりの人が黒々と路傍に倒れていたという。その頃、秋田には食い物がたくさんあるという噂が立ち、飢えに自省を失った人々は夢遊病者のように秋田街道を秋田へ向かった。健康な者でも容易でない山越えである。彼らは折り重なるように倒れ、死骸は街道に沿ってどこまでも続いた。冬の雪がそれを埋め、春の雪代水が少しずつ下へ運び、やがて胆沢川の濁流へ押し流されていった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史・自治体史(民俗))
岩手県胆沢町の伝説・昔話を網羅する。第一節は高山掃部長者と松浦佐用姫の物語で、薬師如来本地松浦佐夜姫誕生記、高山掃部長者竹生嶋弁財天胆沢物語、『南部叢書』所載の奥州胆沢高山実伝(高山稲荷の由来、嘉門長者の妻が嫉妬で大蛇に化し止々井の大堤に隠れて人を害し、美女を牲に供える年番が定められ、遠州小夜の中山から小夜姫が身売りして奥州に下り、牲に上るが神明仏陀の冥助で害を免れ大蛇の骨角を埋葬、潟岸薬師・諏訪明神を祀る)など複数の版と考証を収める。
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