帝都の往来に飛び出した上野の獅子
どんな伝承か
猛獣の王が帝都の街をのそのそ歩いたのだから、まことに未曾有の椿事であった。十五日の朝六時半、上野動物園の七号室で飼われていた同年三月十八日生まれの雄獅子が、檻の隅を破って逃げ出し、園内の植え込みを抜けて裏門から姿を消した。技師の黒川をはじめ数十人が八方へ散って探したが見つからない。やがて本郷区八重垣町の通りに獅子が現れ、往来の人々は悲鳴を上げて逃げまどい、町内は大騒ぎになった。獅子のほうも人の叫び声に面食らい、大通りから走り出して、九時半ごろ同じ区の弥生町にある戸田子爵邸の庭へ飛び込む。駆けつけた捜索隊が庭内で包囲し、ようやく取り押さえた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪奇集成-明治大正昭和篇(富岡直方 編著)
『日本怪奇集成-明治大正昭和篇』は、富岡直方が編んだ怪奇実話集である。明治元年から昭和七年までに各地で起きた幽霊や狐狸の怪、畸形や奇病、天変や奇瑞、世相の珍事を、当時の新聞・雑誌の記事と筆者自身の聞き書きから集めている。明治・大正・昭和の三篇に分け、話ごとに年月を掲げて通し番号を振り、新聞記事を引いたうえで紙名を末尾に添える形を基本とする。