行水のあとを襲われた島田左近
どんな伝承か
激徒の暴行は文久二年から三年にかけてひどかった。七月二十三日の夜、九条家の家臣島田左近が木屋町三条下るの家で襲われた。左近は九条家の諸大夫にまで取り立てられた男で、井伊大老が大獄を起こしたときには志士の探索に働き、和宮の降嫁でも功があって幕府から扶持を受けていた。蒸し暑い晩、行水を済ませて縁側に座り、祇園から連れて来た君香と涼んでいたところへ、二人の激徒が刀をかざして上がって来た。裏の切戸から逃げようとしたが、そこにも四、五人が待ち伏せていて引きずり出され、翌朝には首が四条河原に晒され、片腕を斬られた亡骸は高瀬川に捨てられていた。これが京都の暗殺の始まりだったという。
原典より
これが京都における暗殺のはじめであつた。—— 奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集)
『奇談全集 現代篇』は、田中貢太郎が幕末から大正にかけての事件や奇談を読み物に仕立てた作品集である。明治十一年に相模の真土村で起きた松木騒動、大正十五年に千葉の久賀村一帯で起きた鬼熊の事件、香取郡の連続殺人、伊賀上野の破獄、京都の天誅などを、記録や関係者の話をもとに描き、松木騒動には筆者が大正六年に現地を訪ねた補遺を付す。播磨屋橋遺聞のように、筆者自身が創作と断る話も含む。