鎮魂中の浅野夫人に名乗った小桜姫
どんな伝承か
大正五年五月六日の夜、横須賀の浅野和三郎の家で鎮魂の実修会が開かれた。出口王仁三郎の勧めで浅野が審神者となり、昼に走水神社で授かった石笛を村野竜洲が吹いた。やがて浅野の妻多慶の様子が変わり、体が雲に浮かぶように揺れて、かすかな声で小桜姫と名乗った。多慶は昼の出来事を何も聞いていなかったので、一座は驚き、小桜姫は多慶の守護霊だったのかと考えた。鎮魂のあと多慶は、声に出る前に腹の中で小桜、小桜と繰り返し聞こえたと語ったという。
原典より
鎮魂を終ってから、浅野は妻に向かって言葉を切ったときの気分を尋ねると、小桜姫という文句が音声をなして口に出るまでには、腹部の中で何回も「小桜、小桜」と低く繰り返されるのが聞えたということであった。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。