天地金乃神の宮建立の神示
どんな伝承か
金光教では、元治元年、五十一歳になった備中の百姓川手文治郎の口を通して「天地金乃神」が語り始めたと伝える。神は、日本にはこの神の宮も社も参り場所もないので二間四面の宮を建ててくれと求め、領主への願い出には世話人を立てよと指示した。さらに世話人に頼むべき者や大工の名を具体的に挙げ、工事を始める吉日まで定めたという。宮が建てば、そこは文治郎が取次をして氏子の願いと礼を受ける場になるとも告げたとされる。
原典より
なおこの言葉についで、神はその世話人たちの名前と依頼すべき大工どもの名前を具体的に挙げ、また「銃はじめ」の吉日まで指定するところありました。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。