死の二月前に神が告げた別れ
どんな伝承か
重ねがさねの裁判沙汰は、無邪気な年恵の精神に癒しがたい傷を負わせたようであった。大阪などに居るのは厭だと言って、彼女は翌明治三十四年にさっさと郷里の鶴岡へ帰ってしまった。弟の雄吉は京都大学で実験させる計画を放棄し、郷里の信徒たちの望みに任せて惟神大道教会を設立し、叔父に守らせた。明治三十八年に老母が死に、年恵はいよいよ心細い身の上となる。明治四十年十一月、雄吉が朝鮮に行って不在の間に、年恵は郷里で急に歿した。死に先立つ二ヶ月ばかり前から、年恵に憑る神は、お前は近い中にあの世に連れて行く、と時々囁いたという。歿後、親戚や信徒が邸内に小さな宮を建てて霊を祀った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)