来ぬか来ぬかと夢で告げた不来乎薬師
どんな伝承か
京都の釜座二条の北にある薬師は伝教大師の作で、日本七仏の一つという。もとは美濃の横倉にあり、承久の乱のとき、この薬師を朝夕敬っていた尾張の武士右馬允明長が深手を負って死にかけると、薬師は僧に化けて草をもんで与え、明長はたちまち治った。寛喜二年六月に疫病がはやったときには、院主の夢に「わが前に来れば病をみな除こう、なぜ来ぬか、来ぬか」と告げ、参った人々の病がたちまち治ったので、こぬか薬師と呼ばれる。のちに今の地へ移されたという。
原典より
昔美濃国横倉に在り、承久の乱に尾張国山田郡の右馬允明長なる武士明暮尊敬せしが、式瀬川の戦に深手を負ひ既に死せんとしたる時、此の薬師一人の僧に化し草をもみ與ふ、明長之を服し立所に平癒したりと。—— 迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年))
『迷信の研究』は、富士川游が東京の中山文化研究所で監修し、昭和七年二月の緒言を付して世に出した迷信の解説書である。迷信を思考の錯誤ととらえ、その発生の由来を説いたうえで、身体・精神・疾病・妊娠と出産・育児・禁厭・相法・卜占・天文と暦・犯罪・宗教の欄ごとに迷信の事例を挙げ、科学的な説明を加える。同研究所の展覧会に使った説明のポスターをもとに簡潔にまとめ、巻末の奥書に参照した独逸と日本の文献を掲げる。