柳原の酒屋に出た亡妻と片袖
どんな伝承か
天和三年、江戸柳原で酒屋を営む市兵衛の妻が世を去った。それから間もない夕暮れ、家のうちに亡妻の姿が立ち、下女の袖をつかんだという。下女は恐ろしさのあまり倒れ伏し、人を呼びつづけたまま息が絶えた。家人が駆けつけ、顔に水を吹きかけるなどして手を尽くすと、どうにか息を吹き返したが、着物の片袖だけが引き千切られて見当たらない。不審に思った一同が翌日、亡妻の墓へ参ってみると、失われたその袖は石碑の上に掛かっていた。井上円了が『新著聞集』巻五から引いた、ひとりの目にだけ現れた有形の幽霊の例である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
井上円了 妖怪学講義(井上円了(平野威馬雄 編著)・井上円了・妖怪学・明治(原著)・現代(編))
哲学者・井上円了(妖怪博士)の畢生の大著『妖怪学講義』を、平野威馬雄が編んだ普及版。円了は真の宗教信仰の障害となる迷信を打破するため、あらゆる妖しきものの正体究明に一身を捧げ、妖怪を物怪・心怪・理怪に大別し、物怪心怪を仮怪(説明可能な迷信)、理怪のみを真怪とした。本書は理学・心理学・宗教学・雑の各部門から具体例を抄録する。序ではコックリ(狐狗狸)を西洋のテーブルターニング由来の無意識筋肉運動と解明。