青岸渡寺から漕ぎ出す補陀落渡海
どんな伝承か
那智山の入口にある西国三十三ヵ所第一番札所・青岸渡寺を起点に、平安時代ごろから海の彼方にあるとされる補陀落浄土を目指して川を下り海へ乗り出す補陀落渡海という信仰が行われた。小舟に乗り込んだ渡海上人は生きながら浄土往生を果たす即身成仏を目指したが、実際にはほとんどが海の藻屑と消えた。ある渡海では一度に十八人が舟に乗り組んだが、そのうち存命だったのはわずか一人だったと記録されており、死者を浄土へ送る水葬の儀礼としての側面もあったという。
原典より
青岸渡寺を起点とした最大の渡海では、一度に十八人が舟に乗り組んだものがあったが、そのうち存命の渡海上人は一人だったことが記録されている。—— 呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
呪術と占いの日本史(渋谷申博・瓜生中・呪術・占い史・1992年(平成4年))
『呪術と占いの日本史』は、渋谷申博・瓜生中が平成四年に著した日本呪術史の概説書である。縄文の屈葬や土偶、卑弥呼の鬼道から中世の呪詛、近世のおかげ参りと「ええじゃないか」を経て、明治の神仏分離と修験・祈禱の禁止までを、記紀や史書の記事と民俗の断片から拾い上げる。古代・中世二章・近世の四章を小項目に分けて立て、表の歴史に現れない民間信仰を「闇」の系譜としてたどる。