松江侯が京都に送った人狐の漢名
どんな伝承か
文政元年に刊行された陶山簸南の『人狐弁惑談』によれば、伯州・雲州で人狐と呼ぶものは、漢名がいまだ詳らかでないという。先年、松江侯がこの獣を京都に上せて漢名を尋ねさせたが、知る者がなかったと伝え聞く。また、ある人が本草学者の小野蘭山に尋ねたところ、『黄県志』にいう皮狐に近いと答えられたという。雲州・伯州の俗人はこのものが人を悩ますというが、実は人を悩ますものではない。その形は鼬に似て鼬より小さく、尾は鼠より短くて毛があり、色はおおむね鼠色で黄色を帯びる、と説かれている。
原典より
先年、松江侯、この獣を京都に上せ、漢名を尋ねさせたまへども、知者なかりしと伝へ聞く。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。