孫の婚約を狐持ちと嘆いた祖母の手紙
どんな伝承か
昭和二十七年九月、著者は、戦時中に町へ疎開していた鳥取県出身の実業家の娘A子に、仲人も立てずに求婚して承諾を得た。父親は伯耆の出ながら東京暮らしが長く、迷信を気にしていなかった。ところが婚約を郷里の祖母に知らせると、悲嘆の手紙が届いた。相手のB家は自分が育った家から二丁ほどの名高い狐持ちで、縁を結べば狐が乗り移り親戚中から絶縁される、許すなら親子の縁を切ると迫るものだった。父は迷信を信じないと書き送り、娘のために親子の縁を断つ覚悟まで示した。二人は十一月中旬に出雲大社で式を挙げ、やがて祖母も過ちを認めて結婚を許したという。
原典より
それは、あれほど強く反対された、田舎のお祖母さんから迷信を信じていた自分がまちがつていた、孫達の結婚を許すから、親子の関係を回復してくれるようにとの便りが、ほどなく父の許に送られてきました。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。